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2008-09-09 (Tue)
「1997年には、神戸市で「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る中学3年生男子生徒による小学生連続殺人事件が起きました。犯行声明文の中の「透明な存在であるボク」という、どこか不気味な実在感を帯びた言葉は、まだ私たちの記憶に新しいのではないでしょうか。
        ---中略---
実際、先の「酒鬼薔薇聖斗」事件直後には、多くの中学生が「気持ちはわかる」と反応しました。
当時、事件を扱ったテレビ番組の出演を終えると、そうしたことを書き綴って山のように送られてくるファックスに、私はたじろいだものです。」

これは先にも紹介したことがる「子どもの危機をどう見るか」(尾木直樹 著:岩波新書)冒頭からの抜粋です。
この本は2000年に出版されたものなのですが、今も変わらず、むしろ増えてるんではないか?そう思えるくらい無差別殺人や凶悪犯罪が横行しています。
この当時、事件に共感をした人(中学生に限らず)には「透明な存在感」という感覚が浸透、拡大しているのであろう。そう思われます。


「透明な存在感」・・・
この根底に来るのは(バブル崩壊後も)学歴に傾倒する保護者、学校、社会。
そんな中、自分は数字でしか判断されず「成績の良い子」が認められるという、そういった周りの空気の中で自分の存在感(存在意義)を感じることができず、しかし「自分はここにいる」という存在の矛盾からくる感覚なのかなぁ、そう思います。

さらに言えば、学歴に傾倒することがあまり意味がなくなりつつある中、多くの保護者、学校、社会はいまだに変われずにいます(気づいているけど変わり方がわからない、モデルがないことも考えられる)子どもたちはそのことを敏感に感じていて、もっと本当のことが知りたいのに「勉強しろ」テストが悪かったら「もっと頑張れ」よかったら「次も頑張れ」・・・かなり息苦しくなると思います。
そんな偏差値や社会の価値観にさらされ、自分という存在を意識できず、ひいては「自分は他の成績優秀でいい子と交換可能」という思いが「透明な存在感」という言葉に集約されていると僕は思います。


今日(9/8)ニュースジャパンで秋葉原無差別殺傷事件について取り上げるコーナーがありましたがその中で「社会に適応できない若者たち」というフレーズがありました・・・
その言葉を聞いた瞬間強烈な違和感を感じました。
社会に適応できていないのは若者で若者が悪いという感じさえ受けます。

僕が思ったのは「社会に適応できない若者たち」ではなく
「時代に対応出来ていない社会」なんではないか
、そう感じました。

とはいえ、保護者や教師の方々は子どもの幸せを願ってこそ「勉強、勉強」と言ってるのは間違いないでしょう。一昔前は勉強できることが幸せへの近道だったのは認めるtころですから・・・

物質的な裕福さももちろん大事ですが心の裕福さも、保護者や教師の方々が用意するのではなく子どもたちと一緒に考えていけるように一度といわず何度でもお互い納得するまで話し合ってみることをおすすめします。
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